皆様、新年明けましておめでとうございます。
そしていつもブログをご覧頂きありがとうございます。
昨日は、深川不動堂さんに参拝とお護摩修行へ行きました。
新年のご挨拶といつも見守ってくださっている御礼、第二子妊娠中の妹の安産祈願も兼ねてです。
人間界につきもののネガティブを振り払い、癒やしとパワーをチャージさせて頂けたような時間を過ごしました。
同時にとても大きな愛というか、力強い優しさのようなものも感じていました。
そして今日、遅めに起きてコーヒーを入れようとしていたところ母親から電話が。
妹の義理の甥(1歳)が昨日亡くなったとの連絡でした。
(妹旦那のお姉さんのお子さんです)
正直なところ、驚き戸惑いました。
妹もショックを受けて泣いていると様子を聞きましたし、何よりお姉さんご家族の心中を想像すると心が痛みます。
しかし霊的真理に照らし合わせると、このことにも必ず意味があります。
ただ悲劇で終わらせてはいけません。
世の中には親よりも早く亡くなる人、幼くして亡くなる人、またそれを見送らねばならない人がいます。
霊界ではそのシナリオを承諾した上で、地上に生まれて来ます。
お互いの魂を成長させるためです。
大切な人を亡くすことは、経験した人にしかわからない苦しみや引きちぎられるような悲しみがあると思います。
しかしそれは、魂の目線で見れば大きな学びと成長をもたらすものです。
霊的真理を受け入れる絶好のチャンスともいえます。
悲しみや苦しみを味わっている時こそ、魂はレベルアップしていくのです。
亡くなったその子は、周りの家族や大人たちよりも魂のレベルでいえば上だったのでしょう。
自分が亡くなるという悲しみの経験を通して、もっと魂を成長させてほしいと願い地上に生まれてきたのではないかと思います。
霊界では、魂の成長度合いによって過ごす階層が異なります。
同じ魂レベルの者たちとしか一緒にいられません。
かつては同じ階層で一緒に過ごした仲間、たとえ愛で繋がっていても、片方のレベルが上がり片方がそのままだと、違うところに行かなければならないんです。
また同じところで、同じ気持ちを共有して心地良く一緒に過ごせるようになりたい、
だから今世の家族たちに魂を成長させてほしい、
そのために一歩先にいる自分がみんなの成長するきっかけになろう!
そんな思いを持って、甥っ子くんは今回の人生のシナリオを選択したのかもしれないですね。
「まだ小さいのに亡くなるなんてかわいそう」
「なんであんなに良い人が若くして亡くなるの?」
世間では、こう嘆く話を見聞きしますが…。
魂レベルが高いから、小さいうちに亡くなって親を成長させようとしているんです。
あんなに良い人だったから、若くして霊界に戻ることになった魂もいます。
どちらも、その魂にとって地上で学ぶべきことが残り少なかったんです。
シルバーバーチの霊訓7巻、
6章に「わが子に先立たれた二組の夫婦と語る」
という項目があります。
そちらを一部抜粋して引用させて頂きます。
冷たいことを言うと思わないでください。
本当のことを謙虚にそして真剣な気持ちで申し上げます。
死は、死ぬ人自身にとって少しも悲劇ではありません。
あとに残された人にとってのみ悲劇なのです。
暗黒の世界から光明の世界へと旅立つことは悲しむべきことではありません。
あなたが嘆き悲しむとき、それは実はわが子を失った自分の身の上を悲しんでいらっしゃるのであり、自由の身となった息子さんのことを悲しんでおられるのではありません。
あなたは見慣れたあの姿が見られなくなったことを淋しがっておられるのです。
物的身体が二度と見られなくなったことを嘆いておられるのです。
しかし、本当の息子さんは立派に元気で生きておられるのです。
ただその手で触ってみることができないだけです。
どうかその物的感覚の世界、五感というお粗末な魂の窓の向こうに目をやり、霊的実在を知ることによって得られる叡智を身につけるように努力なさってください。
今回の一件を妹と同じように悲しみ泣くのではなく、せっかく学んだ霊的真理に沿って受け止めていきたいです。
今日、夢を見ました。
空の上から広い海を見ています。
リゾート感のあるきれいなエメラルドグリーン。
ものすごい透明度で、海底の岩がや珊瑚が丸見えなぐらいです。
風もなく穏やかで、本当に心地良い景色です。
それが入り江のほうを見てみると、水の色は濁り荒々しく波が立っていて天気もどんより。
大きな視野(霊的真理)で見れば動じることのないことも、
人間的な狭い視野(入り江)に入り込んでしまうと険しく大変なことばかりにフォーカスしがちになるんだよ〜
というメッセージかなと思いました。
たぶん、寝ている間に霊界で父方の曾祖母と会って教えてもらったような気がします。
※夢で見た=すべてメッセージではありません。
昼間の脳の整理であることがほとんどですので、何でも霊界のものだと思わないよう気をつけましょう。
苦しみ悲しみの中にある人へどういう気持ちをもつか、
その人と接していく中で霊的真理の一部だけでも言葉の中に織り交ぜて伝えることができるようになりたいなと思います。